女の子のための西洋哲学入門 思考する人生へ
女の子のための西洋哲学入門 思考する人生へ
『女の子のための西洋哲学入門 思考する人生へ』
メリッサ・M・シュー+キンバリー・K・ガーチャー゠編
三木那由他+西條玲奈=監訳
青田麻未/安倍里美/飯塚理恵/鬼頭葉子/木下頌子/権瞳/酒井麻依子/清水晶子/筒井晴香/村上祐子/山森真衣子/横田祐美子=共訳
発売日:2024年12月26日
本体価格:3,300円+税
判型:四六判・並製
頁数:568頁
ISBN:978-4-8459-2107-2
これまでの「男性のための哲学」ではない、もうひとつの哲学へ。
「女の子」が成長し大人になっていく過程で考えるべき哲学の問いを解きほぐし、
「自由に思考を広げること」、そして「自分の力で考えながら生きること」の楽しさとかけがえのなさを説く。
女性哲学者たちがいざなう、かつてない哲学入門・画期的エンパワメントの書!
あなたは、哲学の歴史のなかで、女性の哲学者の名前を10人挙げられますか? 3人ならどうでしょう? ほとんどの人にとって、それはむずかしいことなのではないでしょうか。
女性は長い間、哲学の分野で疎外されてきました。なぜなら、彼女たちの貢献は歴史的に男性たちの業績として扱われたり、あたかも貢献など存在しないかのように葬り去られたりしてきたからです。
本書は、女性哲学者たちが「自分が18歳から20歳くらいだった頃を振り返り、自分自身の疑問を見つけ、知的に成長しつつあるその時期に、どんな本があったらよかったか、そしてその本にどんな章があったらよかったか」というテーマで執筆した、新しい「哲学への扉」とでもいうべき本です。
女の子や若い女性を哲学的な思考へと招き入れ、哲学的に物事を考えてみるよう勇気づけるものです。
哲学に触れ始めたばかりのひとにもおすすめできるこの本は、哲学的な問いとは何か、そしてそれが女の子や女性の生活や人生にどのように当てはまるのか、幅広い視点と思考を広げていくヒントを提供します。
本書では、哲学のおもな分野(形而上学、認識論、社会哲学・政治哲学、倫理学)が扱われます。どこからでも読める章立てなので、構える必要はありません。ジェンダーと哲学の交差点について興味のあるひとにとって必ず役立つ1冊となるでしょう。
例えば、アイデンティティや自律といった自己のあり方、科学や芸術や疑いといった知のあり方、人種やジェンダーといった社会構造や権力関係が私たちの現実をどのように形づくるのか、そして、怒りや共感や勇気などの感情と倫理の関わりを現実の問題の中でどのように考えていけるのか。
2020年代の今を生きる私たちにとっても切実で、好奇心を刺激する哲学的なテーマを、生き生きと魅力的な文体で、親しみやすく説いていきます。
いままさに女の子であるあなた、あの頃女の子だったあなた、これから女の子になっていくあなた、女の子と見なされたことのあるあなた、女の子のことをもっと理解したいあなたへ──すべてのひとを歓迎する、私たちのための哲学への招待です。
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この世界で何ができるか確かめてみよう。結局、自分のほかに誰も知識を与えることはできず、この世界も向こうの世界も理解するのは自分次第なのだから。自分のために感じ取り、学び、生きなければなりません。
(中略)
要するに、彼女の行く道は哲学の道にたどり着くものです。思索に満ち、慎重を要する、そして好奇心を掻き立てる道です。
(中略)
あなたもこの輪に招かれているのです。
(「プロローグ」より)
西洋哲学の歴史はおおむねシスジェンダーの、ヘテロセクシュアルの、白人の男性たちの思考の歴史でした。もちろん実際には優れた女性哲学者は何人もいたのですが、西洋哲学の解説のなかで彼女たちが話題になることは、ごく最近の哲学者の場合を除くとあまりありません。日本で西洋哲学について解説するひとも、ほとんどはシスジェンダーで、ヘテロセクシュアルで、人種的・民族的マジョリティの男性たちでした。そしてそうした男性たちが、自分自身の経験を具体例として挙げたりしながら、過去の男性哲学者たちの思想を引用し、哲学への導入を用意してきました。
だから、これまでの西洋哲学の入門書は言ってみればずっと『男の子のための西洋哲学入門』ばかりになっていました。男性が、男性哲学者の話を、男性である自身の経験を例として使いながら解説していたのです。そんな入門だらけだと、どうしても女性や女の子にとってはどうにも入りづらい門ばかりになってしまいますよね。だからこそ、この本はあえて「女の子のための」と銘打っています。もともとどの性別向けでもなかったもののなかに「女の子用」をつくるためではなく、もともと「男の子用」だった世界に「男の子用」でない場所をつくるためです(本当は『ノンバイナリーの若者のための西洋哲学入門』もあってしかるべきなのですが、残念ながらいまのところ実現していません)。
(「監訳者まえがき」より)